• 042-512-8308
  • info@karashidane.tokyo

立川からしだね教会 | 東京・立川の小さな教会 - 日本基督教団 西東京教区

立川の小さな教会(日本基督教団 西東京教区)

立川の小さな教会 立川からしだね教会

立川からしだね教会

日本キリスト教団 西東京教区

立川の小さな教会

立川駅徒歩10分

立川からしだね教会は、日本基督教団・西東京教区の開拓伝道のヴィジョンから生まれた教会(プロテスタント)です。

毎週日曜には、午前10:30からの朝礼拝の他に、西東京教区が主催する夕方5:30からの夕礼拝が行われます。朝礼拝の説教は立川からしだね伝道所の道家牧師が行い、夕礼拝の説教は西東京教区内の各教会の牧師が持ち回りで行っています。

※コロナ感染症対策のため、夕礼拝は、しばらく休止しています。YouTubeにてメッセージを配信しています。

また、祈禱会や聖書研究会、牧師面談日などの時間を設け、立川の地にイエス・キリストの福音を伝える場となっております。

教会について

メッセージ - 説教要旨

2024年11月17日(主日礼拝)マタイによる福音書 10章40節〜11章1節「キリスト者は小さき者」 道家紀一牧師

異邦人の国日本はキリスト者でない人々ばかりです。家族も、職場も、学校も、地域も。そのような環境で、神に仕える「小さき者」(少数者であるキリスト者)がいかにして「冷たい水一杯でも飲ませてくれる」ような反応を得ることが出来るかどうかが問われます。「どうせ話しても無駄だとか」「関心などもたいないだろう

」と諦めてはなりません。(教会の外にいる)人々の救いに関わることなのです。「永遠の命になど興味はない」とか「死んだらそれで終り」と呟いている人々からいかにして「冷たい水一杯でも飲ませてくれる」ような関心を得られるか。それが、主イエスを伝道するということであり、一人でも多くの人を救いの真理(信仰)へ導くということになるのです。


2024年11月10日(主日礼拝)マタイによる福音書 10章34節〜39節「命のふさわしい用い方」 道家紀一牧師

自分の十字架を担うことを恐れ、担おうとしない者は、「自分の命を得ようとする」=「守ろうとする」者であると一蹴されます。その人は、結局は神から与えられている「命」(生きる生命そのもの)を失うことになるであろうと。たとえ命を長らえても、生きているようで死んでいる人生に過ぎないのだと。しかし、主イエスのために、少しでも、自分の十字架を担おうとする者は、神から与えられている命を全うして、人生を終え、永遠の命(神の命)の世界へ導かれるであろうと。神から与えられた命を、何のために用いるのか。神の愛と真理を証しするため、神の栄光を指し示すために、わたしたちは、喜んで、感謝して、命をささげてゆきたいと願います。「主よ用いてください」と。


2024年11月03日(聖徒の日礼拝)コリントの信徒への手紙 二 1章3節〜7節「唯一の慰め」 保科 隆牧師

「慰め」という言葉を聞くと「慰められる」という感傷的な響きを感じるが、そうではない。キリストと結び付けられる言葉である。キリストから与えられる「慰め」である。宗教改革期(16世紀)の有名な「ハイデルベルク信仰」の問1「唯一の慰めは何ですか」に対し「生きている時も死んでいる時もイエス・キリストのものである」と答えている。これはローマ14:8「わたしたちは生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです」に基づいている。友人の最期に見舞いをしたときに「体も魂も主のものです」と祈った。慰めという字は、心を「熨す」という意味がある。萎えた心を引き延ばすのが、キリストによる「唯一つの慰め」であることを確信したい。

もっと見る