• 042-512-8308
  • info@karashidane.tokyo
立川の小さな教会(日本基督教団 西東京教区)
2022年04月24日(主日礼拝)ヤコブの手紙 1章16節〜18節「良い贈り物」 永瀬よしこ牧師

ヤコブの手紙は、『良い贈り物』は天の父ご自身である事を語りました。その事を通して、良き贈り物である主イエスを指し示されるのです。このことは、教会の人々に希望をもたらしました。 互いに主イエスを通して、信仰を固く保ち続けるためには、励まし合うことの重要性を知るのです。

2022年04月17日(復活祭主日礼拝)コリントの信徒への手紙 一 15章12節〜20節「死者の中から復活されました」 道家紀一牧師

「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」これがわたしたち神を信じる者の最後の拠り所です。いろいろな人生がありましょう。生き方がありましょう。泣きたくなること、やめたくなること、絶望の淵に落とされるような人生など様々でありましょう、しかしキリストの復活を信じる者は、そこで決して終わることはないということを知り得るのです。

2022年04月10日(棕櫚の日礼拝)ルカによる福音書 19章28節〜44節「苦難と共にある神から来る希望」 道家紀一牧師

弟子たちをはじめ、主を迎える人々は、自分の服を道に敷いて、歓声の声をあげました。人々は今こそ、あの奇跡を起こした主が王になられると喜び踊りました。天の平和と栄光を身に帯びた真の王の入城を喜びたたえたのです。しかし、これを非難する勢力がありました。「先生、お弟子たちを叱ってください」と。ファリサイ派が仰ぎ見る王とは、この世の輝きを身に帯びた王でした。この世の価値感から抜け出すことができない者は、真の平和の王を見損ないます。救い主を見ることはできません。

2022年04月03日(受難節第五礼拝)ヘブライ人への手紙 5章1節〜10節「レント:悩み苦しむ大祭司」 道家紀一牧師

ユダヤ人にとってメルキゼデクは遠い存在でした。この祭司は理想化されていたからです。イメージされた完璧な大祭司になっていました。しかしキリストは、そのイメージを、ある意味凌駕する形で、遙かに乗り越えて、わたしたちの前に、真の大祭司を示されました。ヘブライ書の著者は、ほんとうにわたしたちの罪の弱さを贖い、天の救いを授ける真の大祭司を、語り示したかったのです。そして、それは、御子キリスト以外にはあり得ないというのが、彼の告白です。わたしたちが信じ、倣うべき信仰のまことの姿が、苦しみ悩む大祭司キリストの中にあるのです。

2022年03月27日(受難節第四礼拝)詩編 36章6節〜10節「レント:天にまなざしを向けて」 道家紀一牧師

明日を切り開き、築いてゆくのは、わたしたちの在り方にかかっています。諦めれば、それまでです。「しかし神は」と向き直って、はじめの一歩を踏み出す時、わたしたちの事情は一変するのではないでしょうか。それを可能とするのは、希望の光です。「命の泉はあなたにあり、あなたの光に、わたしたちは光を見る」これを告白できる人は幸いです。そして、力強く生きられます。わたしたち一人ひとりの命は、これは神が、ほんとうに丁寧に与え下さった一つひとつであります。でありますから、その命の光の源は、間違いなく神にあります。神には、わたしたちに授けた命の光を取り戻す用意がされています。

2022年03月20日(受難節第三 日本伝道の推進を祈る日礼拝)テモテへの手紙 二 2章8節〜13節「レント:キリストと共に死に、キリストと共に生きる」 道家紀一牧師

わたしたちに先だちキリストは御自身を献げられ、信仰の勝利を啓き示されました。キリストと共にわたしたちは生きるのであり、キリストと共に死ぬのです。耐え忍んだ後には、キリストと共に全てを支配し、永遠の命の世界に憩うのです。わたしたちが不誠実でもキリストは信じるに価する方です。キリストご自身、神の御心を拒むことは、決してなさらない方だからです。

2022年03月13日(受難節第二礼拝)マタイによる福音書 12章22節〜32節「レント:悪霊からの解き放ち」 道家紀一牧師

伝道とは、悪霊に取りつかれている人々を解放し、神から離れてしまった人々を再び招き集めて、新しい神の共同体を建ててゆくことです。この働きを認めない者は聖霊の働きを認めない者となります。聖霊の働きとは、神に対する罪を犯し、悪しき霊に取りつかれている者を、そこから解き放ち、赦すと宣言する御業です。この御業は人の思いで実現しません。十字架の主、復活の主とこの方に起こった出来事を信じる“たしかさ”から実現します。そのときはじめて神の国が、そこここに築かれます。受難節(レント)はその力をたしかにする季節です。

2022年03月06日(受難節第一礼拝)ヤコブの手紙 1章12節〜15節「試練と誘惑」 永瀬よしこ牧師

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。神から誘惑されていると思い違いをして嘆くのではなく、神に素直になる時、私たちを愛を持って訓練して下さっていることがわかります。キリスト・イエスの御名を愛する者を、父なる神もまた、間違いなく愛してくださるからです。

2022年02月27日(主日礼拝)ヨハネによる福音書 16章25節〜28節「神は永遠に愛の神」 道家紀一牧師

十字架の死、三日後の復活、そして昇天、このことを通して、わたしたちにも、神に至る道が開かれるのです。主イエスキリストの御名と信じる者には、この方の御名を通して、あらゆることを神に願うことが可能となるからです。なぜならば、御子キリスト・イエスの御名を愛する者を、父なる神もまた、間違いなく愛してくださるからです

2022年02月20日(日本伝道の推進を祈る日礼拝)ヨハネによる福音書 16章16節〜24節「たとえ悲しみに出遭っても」 道家紀一牧師

主イエスはいわれます。「人生には、いつも答えられない問いがあり、解くことのできない謎が満ちている。しかし結局のところ、世にあっては、見て確かめて生きるのではなく、信仰によって歩まねばならない」と。わたしたちがなすべきことは、救い主キリストを通して、神との関係を常に見失わないようにしておくことではないでしょうか。神にはいつでも何でも問うことができる、何でも願い求めることができる、という安堵感の中に生かされる、ということが大切です。それは、とりもなおさず、礼拝を中心とした信仰生活を整えてゆく中で得られるものです。神の霊に満たされ、導かれる生き方を志すとき与えられます。