立川からしだね教会
日本キリスト教団 西東京教区
立川の小さな教会
立川駅徒歩10分
立川からしだね教会は、日本基督教団・西東京教区の開拓伝道のヴィジョンから生まれた教会(プロテスタント)です。
毎週日曜には、午前10:30からの朝礼拝の他に、西東京教区が主催する夕方5:30からの夕礼拝が行われます。朝礼拝の説教は立川からしだね伝道所の道家牧師が行い、夕礼拝の説教は西東京教区内の各教会の牧師が持ち回りで行っています。
※コロナ感染症対策のため、夕礼拝は、しばらく休止しています。YouTubeにてメッセージを配信しています。
また、祈禱会や聖書研究会、牧師面談日などの時間を設け、立川の地にイエス・キリストの福音を伝える場となっております。
教会について主イエスがいわれることは、次のことです。人が神とキリストイエスに対して犯す罪については赦されるであろうが、主イエスに授けられた聖霊を退ける者は決して赦されることはないと。主イエスに授けられた神の霊は十字架と復活の後天に戻られた主イエスご自身から、約束の霊として、教会へ降り注がれました。ペンテコステの出来事です。主イエスに授けられた神の霊は聖霊なる神となって礼拝されることとなったのです。主イエスがいわれていることはその一連の出来事です。神が御子キリストを遣わし、その血を流させるほどに、その肉を割かさせるほどにして、実現しようとなさった「赦しの御業」を否定する者は赦されないのだと。聖霊は神がわたしたちを罪から救おうとなさった全ての出来事を、わたしたちにはっきりと分からせてくださる神そのものなのです。
神の正義が実現するまでは、「傷ついた葦」となっても「くすぶる灯心」となっても、神の名によって、望みを置くしかないのでしょうか。人間の間違った正義が振りかざされる中において、神の正義を貫くことは、今にも倒れそうな葦のようにもなるでしょうし、消えそうなろうそくの火ともなるでしょう。しかし、そこでこそ、なお、踏みとどまるのです。神へ期待して。神の愛は、わたしたちを引き離すことはないと信じて。
神を信じる者は、見える人の時の流れの中で見えない神の時を待ちながら祈る人のことです。主イエスは、その神の時を、神に選ばれた僕として歩み続け、最後には十字架の死をもって、“このとき”(神の時)を示されたお方といえましょう。
「異教よりも異端」という言葉があります。わたしたちは、自分たちの内から、これまでの伝統とか慣習とかを打ち破ろうとする勢力を恐れます。そして抑え込もうとします。同じ神を信じているのだから、同じ意見を持ち、同じ行動をするはずではないかという思い込みがあります。しかしそれは違います。神は、“命の息を吹き込まれたということ”(ザッヘ)以外には、まことに自由に、わたしたちをお造りくださいました。したがって、わたしたち一人ひとりは違っていて当然なのです。大切なことは、違っていることが分かったとき、明確になったとき、そこで信仰の一致を=同じ神を仰ぎ見て、共に話し合い、歩むことが出来るかどうか、ということです。