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立川の小さな教会(日本基督教団 西東京教区)
2021年09月12日(主日礼拝)ヨハネによる福音書 15章1節〜3節「信仰の実を結ぶ」 道家紀一牧師

信仰の実を結ぶ結ばないとは、最終的には人間が判断できるようなことではありません。「あの人の信仰は実を結んでいる」とか「あの人は結んでいない」などということはわたしたちには出来ないこと、してはいけないことでありましょう。それは神がお決めになることです。ですから、神による枝払い(刈り込み)をいたずらに恐れるのではなく、どんなことがあろうとも“主イエスにつながってゆこう”と思う気持ちを大切にすることです。

2021年09月05日(振起日礼拝)ローマの信徒への手紙 14章1節〜12節「現実を受けとめる力」 道家紀一牧師

目の前の現実を受け止める根源的な力は、主なる神です。最後はみな、裁きの御座に着かせられます。終わりの日、わたしたちは、どのような生き方をしようとも、そこで神の前に立つのです。主は言われます。「わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、すべての舌が神をほめたたえる」と。最後の最後には、神の御前に伏すことになり、自分の来し方について申し開きをしなければなりません。これが生きる謙虚さにつながり、ひいては、他人の事柄について、軽率な言動を控えることにもなりましょう。

2021年08月29日(主日礼拝)ヨハネによる福音書 14章25節〜31節「さあ、立ってでかけよう」 道家紀一牧師

主イエスの決別説教は終わります。世の支配者が来るときが来たからです。世の悪しき力によって、主イエスは亡き者にされようとしていますが、彼らは、決して主イエスの全てを奪うことはできません。彼らが亡き者にしたと思ったその瞬間に、主イエスは“神の栄光を受ける”からです。ルターはいいました。「主の十字架の恥辱の中に神の栄光がある」と。キリストを信じる弟子たちが、“もうこれまで”と思ったそのときに、そこから、神の栄光の輝きが始まるのです。キリスト共に、さあ、世に出掛けて行きましょう。

2021年08月22日(主日礼拝)ヤコブの手紙 1章1節〜4節「信仰生活」 永瀬よしこ牧師

ヤコブ書は、信仰生活への助言を、書いた手紙です。主の兄弟ヤコブの名のもとに彼は、この手紙を書きました。それは、この手紙で異教の地で暮らす信仰の兄弟を励ますためでした。彼らの暮らすギリシア・ヘレニズム文化の地は、多神教の世界でした。キリスト者の教会は、こうした宗教世界において、常に誘惑(迫害)を受けていました。ヤコブは、これらの迫害を忍耐することを勧めます。そして、神により喜びの信仰に変えて頂くようにと伝えるのです。

2021年08月15日(日本伝道の推進を祈る日礼拝)ヨハネによる福音書 14章18節〜24節「主が内に宿ってくださる」 道家紀一牧師

主イエスの言葉と約束は明確です。主イエスを愛する人は、主イエスの言葉を守る人となる。すると、父なる神は、その人を益々愛してくださる。そして、さらには、父と子が、その人のところに来て、いっしょに宿ってくださるのだと。したがって、主イエスを愛さない者には何一つ救いの出来事は起こらないし、救いの信仰も与えられないのであると。主イエスが語る信仰とは、父と子が、わたしたちの内に宿ってくださるということです。そのことを起こさせるのは聖霊です。聖霊が注がれるように、祈り求めましょう。

2021年08月08日(主日礼拝)ヨハネによる福音書 14章15節〜17節「新しい霊の下に生きる」 道家紀一牧師

旧約の預言者エゼキエルは語ります。「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる」(エゼキエル36:26~27)キリストが、父なる神に願って、遣わされる真理の霊は、今も、わたしたちのところに来て下さる、助け主であり、弁護者であり、慰め主です。多くの人が聖霊の支配の下、愛に溢れて生きられるよう祈り求めましょう。

2021年08月01日(平和聖日礼拝)詩編 4章2節〜9節「平和のうちに身をよこたえる」 道家紀一牧師

農夫は、一年間、暑い日も寒い日も労苦して畑を守り、待ちに待って「麦とぶどうを豊かに取り入れて」大きな喜びに浸ります。しかし、神の答えという実を待つ信仰は、それ以上の喜びを与えます。この信仰に至るとき、争いに満ちている一日に平和な眠りのときが来ます。「平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに、わたしをここに住まわせてくださるのです」と。ここに否定する気持ちはありません。すべてを神の御手の内にゆだね、今日一日を肯定し神に近づく上質な眠りがあります。

2021年07月25日(主日礼拝)ヘブライ人への手紙 1章5節〜14節「御子は天使にまさる」 平澤基幸牧師

御子イエス・キリストは、「天使にまさる」とヘブライ人への手紙は語ります。主なる神はすべての世界をお造りになられました。天使もまた神の御手の内に造られました。御子キリストは、この神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れです。したがって、御子キリストは、天使以上のものであり、神と同じ力をもって、万物(世界と人間)をみ言葉をもって支えてくださっています。地上に降り立たれた御子キリストは、そのために人々の罪を清められた後、今は、天にあげられて、神の右の座に就いて支配しておられます。

2021年07月18日(日本伝道の推進を祈る礼拝)ヨハネによる福音書 14章12節〜14節「神の願いにかなう人生」 道家紀一牧師

わたしたちは、主イエスを信じ、御名によって、様々な事柄を祈り願います。実に、自分でも驚くほどの願いや祈りがわき出てくるでありましょう。個人的なことから、世界の果てのことにいたるまで。しかし、本当にこの願いと祈りは、“キリストの名によって”祈り願ってもよいことであろうかと、一度よくよく考えてみる必要がありはしないでしょうか。自分を中心においた祈りは間違った自己肯定の危険性があります。神を信じる者はキリストを中心において祈るべきです。祈る目的を再確認し、祈りと願いを整えるべきです。

2021年07月11日(主日礼拝)ヨハネによる福音書 14章7節〜11節「神の御業を信じるとは」 道家紀一牧師

キリスト教信仰において、最大の躓きは“復活”です。復活抜きのキリスト教信仰というものが案外あります。それは、主イエスを父なる神と一つであると告白していないところから起こっています。主イエスは神です。父なる神と一つです。だから、復活は本当に起こったことなのです。この点をわたしたちは信じないと駄目です。いくら頭で理解しても駄目です。教理として知っていても駄目です、本気で、「主イエスは神です」と告白することに、神とのまことの出会いがあり、わたしたちの救いが始まります。